1月の幽霊

最近学校で妙なうわさが流行るようになった。

それは…毎年1月の特定の日になると、学校を幽霊が徘徊するという。

素晴らしく馬鹿馬鹿しい話だ。
盆でもないのに冬にユーレイなんざ出るかよ。
それ以前に、んな非現実的なもの、存在するはずがねぇ。

…別に怖いから言ってんじゃねーぞ!!!!(←強調)



「1月ですね。」
「1月だにゃぁ〜。」

その日、部室で着替えていたら桃城のバカヤロと
菊丸先輩が何やらニヤニヤしながら話していた。

「先輩どー思います、例の噂。」
「んー、よくわかんないけどー、一遍本当かどうか確かめてみたいにゃー。
 俺でも幽霊さんが見えるかどうか!」
「見えない方がいんじゃないですかぁ、腰抜けても知らないっスよぉ?」
「あー! そーゆー桃だってー!! 前に不二がのっぺらぼうのお面被って
 イタズラした時思いっきり逃げてたじゃん!」

何を話してんだ、この2人組は。
特に菊丸先輩と来たら上級生だってのに嗜めもせずにクソ力の
話に乗ったりなんかして。

「くだんねぇ話してねぇでさっさと着替えやがれ、このクソ力。」

俺は思わずそう呟いた。

「あんだと、このマムシ。」

桃城がチロッと睨んでくる。

「てめぇにだけは言われたくねーな、言われたくねーよ。」
「…どーゆー意味だ。」
「よくゆーぜ、乾先輩の怪談話を聞く前にその場から
 トンズラここうとしたことあるビビリ君だろが。」
「あんだと、てめぇっ!! お前だって似たようなもんだったろーがっ、
 思い切り先輩達に乗せられやがって!!!」
「何おぅっ、このヘビ面ぁ〜っ!!!」
「やんのか、この剣山頭ぁーっ!!!」

危うく俺はまたこのクソ力と取っ組み合いになるところだったが、
すんでのところでラケットを持った河村先輩に割って入られた。

いつもなら大石副部長が止めに入るんだが…
寿命が縮まる思いをしたことは言うまでもない。



幽霊がどうのこうのというくだんねぇ話はともかく、
今日もいつものように部活が始まる。
テニスコートの周りでは相変わらず手塚部長のファンとか
不二先輩のファンとかが群がっていてうるせぇことこの上ない。

どいつもこいつも…練習の邪魔になんのがわかんねーのか。
ったく、くだらねぇ。

そんな事を考えながら練習に励んでいると、ふとフェンスの向こうの
植木の陰から誰かがこっちを伺ってるのに気がついた。
何だ、あの女は。
どうせ先輩方の誰かの親衛隊なんだろーが…。

いや、でも、ちょっと待て。よく見たら視線の行き先が他の女共と違う。
妙な予感がして俺はチラッとそいつの視線をたどった。

!!!! 俺か?!

バカな、ってゆーか冗談じゃねー。俺はストーキングされるのは御免こうむる。
丁度そこへ休憩のコールが入った。

俺は1人、コートを出て水飲み場に向かった。
あそこの周辺は静かでいい。桃城のバカもいねぇし。

目的のところに来てみるとさっき植木の陰に居た女が突っ立っていた。
やっぱりストーキングの標的にされているのか、俺は。

「…何だ、てめぇ。」

俺が尋ねるとそいつはビクッと体を震わせて怯えたような目で俺を見た。

「あ、あのっ…」
「用があるならさっさと言え。」

イライラする喋り方だ、俺はあんまり気が長くねぇんだ、さっさとしやがれ。

「か、海堂薫さん…ですよね…?」
「それがどーした。」
「こ、これっ!!」

そいつはいきなり俺の目の前に両手を突き出した。
一体何事かと思ったら、その手にはハンカチが乗っかっている。

「これは…」

これは俺がつい最近どっかに落としちまったやつじゃねーか。
探しても見つからなかったらさすがに諦めてたのに。

「えと、ちょっと前に落っこちてたの拾ってちょーど名前書いてたから
 届けようと思って、でもどこのクラスの人かわからなくてやっと
 今日わかって…」

えらい早口でまくし立てた後、女は顔を赤くして目線を下に落とした。

「そうか…」

俺は呟いた。

「その…助かった…」

どうも礼を言うのは苦手だ、何だか必要以上に落ち着かねぇ。

「どういたしまして。」

女は笑った。

「じゃあ、私は失礼します。」
「おい。」

踵を返して立ち去ろうとした女を、俺は無意識のうちに呼び止めていた。

「お前、名前は?」
「私ですか?  って言います。」
 、か…」

そういうとは走って消えていった。
俺はその後姿を見届けると、が届けてくれたハンカチを
ポケットにねじ込んでテニスコートに戻ろうとした。
すると、進行方向にあのクソ力がいた。

「…か、海堂…おま…」
「あんだ、このクソ力。」

桃城の奴の顔は青ざめ、全身が細かく震えている。
一体何だってんだ。

「おま…今誰と喋ってたんだよっ?!」
「んなとこにいたんならてめぇも見てただろーが。さっき走ってった女だ。」
「女? …お前の目の前…さっきから誰も居なかったぞ…」
「ハ?」

こいつ、俺をバカにしてんのか?

「んなハズねぇ。さっき俺にハンカチ届けにきやがった。」

言って俺はポケットからハンカチを取り出してみせる。
桃城の顔は青どころか白くなった。

「や、やべぇよ…」
「あ゛?」
「やっぱ噂は本当だったんだ…」
「何言ってやがる。」
「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」

叫びながら桃城は土煙を上げてすっ飛んでいきやがった。
前々から思っていたが、けったいな奴だ。



テニスコートに戻ると手塚部長を除いたレギュラー陣がひとところに固まっていた。
全員が俺の姿を視認すると少し戸惑ったような顔をする。
桃城の話を真に受けてんのか、ケッ、馬鹿らしい。

通り過ぎようとしたら乾先輩に声をかけられた。

「海堂、お前のことで桃が面白いことを言ってるんだが。」
「どーせ透明人間と話してたとかロクなことじゃねーに決まってる。」
「わかってるなら話は早いな。」

滅茶苦茶ムカついたのは多分気のせいじゃねぇ。

「言っておきますけど、俺は別に正常っスよ。」
「別にお前がおかしいとかどうとか言うつもりはないさ。」

乾先輩は眼鏡を指で押し上げた。

「海堂、お前、その人の名前聞いたんだって?」
「うっす。」

桃城の奴が喋ったな。あのヤロ、いつから見てやがったんだ。

 …だったな。」
「それが何か?」
「いいかい海堂、よく聞けよ。」

乾先輩は俺をまっすぐに見た。

「その人は…幽霊だ。」

俺の意識は暗転した。

「…どーゆーことなんスか。」

数秒後、意識を取り戻した俺はブツブツと尋ねた。

「乾先輩までんなくだんねーこと…」
「有り得ないんだよ、海堂。その人が今中学生としてここにいるのは。」

乾先輩はどこまでも真剣に言うので俺は黙って話の続きを聞くことにした。

 さんは亡くなったんだ、9年も前に。生きていたら22歳になっているハズだ。」
「そんなバカな…!!! だってさっき…!」
「でも、間違いないんだよ。竜崎先生がご存知だった。教え子だったそうだ。」
「そんな…」

俺は頭が真っ白になった。嘘だ、あいつが…死人だってのか…?
それも9年前の…?

「亡くなったってどうして…?」

俺の言葉を代弁するかのように口を開いたのは大石副部長だった。

「9年前に神戸の方で起こった地震を知ってるか?」
「あの、犠牲者がたくさん出た…」
「そうだ。」

俺は乾先輩と大石副部長の会話がボンヤリと聞いていた。 
頭はまだ現実を認識できていないらしい。

さんは青学の生徒だった。でも家の事情で兵庫県に引越したんだ。」
「まさか…」

乾先輩の視線が下に落ちた。それは俺の予想が当たっていることを示しているのか。

「あの時の地震で…家が倒壊して…瓦礫の下敷きになったそうだ。」

俺の耳から一瞬、音が遠のいた気がした。

「なあ、今日って確か…」

誰かが言った。

「うん、1月17日だね。」

答えたのは不二先輩だろうか。

「そういやあの幽霊ってさー、」

珍しく声のトーンが低い菊丸先輩。

「1月17日に出るって噂だったにゃー…」

「…きっと、戻ってきたかったんだよ。」

そう言ったのは多分、河村先輩で。

俺は…何も言えなくて…
ポケットに入れたハンカチを握り締めているしかなかった。

 が届けてくれたハンカチを…

「おい、マムシ。」

桃城が口を開いた。

「マムシって言うなっつってんだろが。」
「何泣いてやがんだよ。」
「何の話だ。」

俺は言いながらグイッと目をこすった。
レギュラージャージの袖にはかすかに光る筋がついていた。

何でだ。何では俺にだけ見えて、何ではわざわざ俺の所に
ハンカチを届けに来たんだ。
何でだ。

俺はいたたまれなくなって、ついでに目が潤んでいるのを
これ以上見られたくなくて皆に背を向けた。
すると…

…」

俺が呟いた瞬間、周りの連中がえっ?!という顔をした。
無理もない、俺も意外だった。
だが、俺の視線の先にあるフェンスの向こうのそれは
間違いなくさっき水飲み場で会った顔だ。

俺は思わずそのフェンスまで駆け寄っていた。

、お前…」

は何も言わない。
ただニッコリと微笑んでいるだけだ。

「おい…」

何とか言え。そう言いかけた時、

「よかった、行ってしまう前にハンカチ渡せて。」
「あ?」
「今日が期限なんです、こっちに居られる。」
「何言ってんだ、お前。」

俺は尋ねたがは代わりにこう言った。

「もうハンカチ落としたらダメですよ。次はもう、拾ってあげられませんから。」

の姿が少しずつ薄くなっていく。

「じゃあ、さようなら。」
「おいっ!!!」

俺は思わず叫んだ。
だが、そんな俺の言葉も虚しく、の姿は更に透けていく。

ーーーーーーー!!!!!」

そして、 は無数に輝く小さな光の粒になって…
消えた。

跡形もなく。



その日、俺は何とも言いようのない喪失感を抱えながら家路に着いた。

たった一度会っただけの幽霊相手に何でこんな気分になるのかは全然わからない。
だが、ひたすら虚しくて悲しくてどうしようもなかった。

家へ帰ったら弟の葉末がたまたまTVで阪神大震災の特集番組を見ていた。
ブラウン管に映る被災地の様子はあまりにもむごかった。

真ん中で真っ二つに折れた高層ビル、縦横無尽に亀裂が入った道路、
真っ赤に炎上する家々…
これには巻き込まれたのかと思うとまた何かがこみ上げてきた。

は多分、もっと生きたかったんだろう。
だからあれから9年経っても青学に住み着いていたんだろう。
そしてそのタイムリミットは今日訪れた。

「兄さん?」

TVを前にした唐突な俺の行動に、葉末が怪訝な顔をする。

俺はそれに構わずにしばし、目を閉じ、両手を合わせた。

せめてが彼の岸で安らかにあることを切に願いながら…

1月の幽霊 End


作者の後書き

1日遅れではありますが…阪神大震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
2004年1月18日
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